中学卒業をしたら、いきなり両親にアメリカ移住を告げられた話 [第一話 出発編]
今回は私の過去の思い出や人生について曖昧な記憶を辿りながら、皆さんにお伝えできればと思います。
私はロシア国籍であるわけだが、公立の小中学校を日本で卒業している。
勿論、友達も日本人であるし、教育だって日本人と同じ。
母にロシア語の勉強をしなさいと言われても
「ロシア語なんていらんねん!」って言いながら逃げ回る日々(今はこれを後悔)
学校では部活に励み、友達と毎日のように遊ぶ日々。
そして赤点をギリギリにかわす程度の学力(昔の自分を殴ってやりたい)
そんな、ザ・平凡のガキんちょだった私だが
ある日、両親にアメリカ移住を告げられた。
その時の私は、「高校受験せんでええやん。ラッキー」程度にしか考えていなかった。
だから周りの友達が受験勉強をしていた時も、なぜか勝ち誇っていた私 笑
ただの旅行のような、そんな感覚だった。
だから、大好きな友達と最後に遊んだ日も「バイバーイ!またねー!」と手を振った。
手を振ったあとも、振り返らずにそのまま別れてしまった。
それ以降、友達と会うことはなかった。
そして引っ越し当日
父が飛行機の時間を6時間ぐらい間違えて認識していたため(父ちゃんしっかりしてくれ)
日本での最後の時間を楽しむこともなく、急いで空港に到着
空港に行く電車で見た日本での最後の夕日
旅行気分のはずが、なんだかもの寂しかった。
さて、私たちのフライトの予定はというと
関西国際空港→サンフランシスコまで10時間のフライト→サンフランシスコで乗り継ぎまで12時間待つ(観光)→ワシントンD.Cまで5時間のフライト→ワシントンD.Cで6時間の待機→フロリダ州タンパまで2時間半のフライト
という地獄の引っ越し・・・。
飛行機の中で疲れ果て、到着したのは言葉も文化も分からないアメリカ。
10時間のフライトを終えてホテルで休みたい私だったが、
次のフライトまで12時間もあるため、両親による無慈悲な観光が決行された 笑
初めての海外を散歩(ロシアに5歳までいたが記憶なしのためカウントしません 笑)
すべての出来事が私にとっては初めての体験
理解できない言語が飛び交い、日本では見慣れない建物や人々
「これからはアメリカで暮らす」という現実なんて全く想像できなかった。
有名な橋がそびえ立ち、太平洋からくる強い風が吹き荒れるサンフランシスコ
そしてさまざまな人種の人々が暮らすサンフランシスコ
大阪でも田舎の方で幼少期を過ごした私は、African Americanやヒスパニックの人を見たことがほとんどなかった。
もちろんテレビやインターネットでは見たことがあるが、目の前にさまざまな人種の人がいる光景、すごく新鮮だった。
他方で少しだけ怖かった。何か間違ったことをしてしまったらどうしようって
壁画に書かれた絵はメキシコとの繋がりを感じる。
途中でサンドイッチ屋さんに寄った。店員さんは韓国からの移民だという。
「あぁ、私も移民なんだ」なんてボンヤリと考えた。
そして、途中でサンフランシスコでは有名なケーブルカー(路面電車)に乗った。
Uターンさせるときは、手動。クルっと一回転させ乗り込む。
この日は観光客が多かったのか、路面電車はすし詰め状態。
四方から押され、私の疲労は最高潮。
サンフランシスコは急な坂道や下り坂が多い地形のため、下り坂でスピードを出す路面電車はちょっぴり怖かった。
そのあとは、また空港に電車で戻る。
電車の窓を眺めながら「私、アメリカ人になるのかな」なんて考えていた15歳。
23歳になった今でも心の中にはアメリカ人としてのアイデンティティが生きている。
でも結局、私の望むアメリカ人にはなれなった。
そこだけが少し心残り